理由なき回答
前回述べた「PTAの委員・役員」。
これを決める際に、いつも不思議に思うことがある🥴🥴🥴❓
それは、「委員・役員」の仕事の内容や目的についての詳細を聞かず、「委員(役員)とは大変なもの」という思い込みに振り回され、悩み、嫌う人がとても多い!
ということである。
こういう人は、きっと、
「どんな委員(役員)」でも「どんな仕事内容」でも、
とにかく「嫌」なのだと思う。
「何が嫌か?」という具体的な理由はなく、
「委員に属することが嫌」なのである。
これは、「知らない世界に入る恐怖」なのか?
「生活のリズムが狂うことへの不安」なのか?
その正体はよくわからないが、
とにかく、詳細を聞かずに「嫌がる」人はとても多い。
そして、面白いことに、
この「詳細を聞かずに嫌」と言っていた人は、
一年間のオツトメが終わるときには、必ずこう言うのである
「とても楽しい一年でした。
やってよかったって思います😙」と。
そして、次年度委員になった人に(この人もまた嫌がっている人なのであるが)、
「絶対やった方がいいって!最後にやって良かったって思えるから、頑張ろう!」
と、熱く語って説得しているのである。
これを「精神論」とココでは名付けておく。
「物理的に委員ができない人」や
「任期である一年間、委員を務める責任を持てない人」
からすると(しかも、委員ができないことを申し訳なく思っている人からすると)、
この「精神論」は相容れないものがあるに違いない。。。。
また、
PTA反対論を唱える人は、きっと、こういうやり取りが、理解できないのだろうな~
と、勝手に思っている自分である。。。。
ルール
各学校単位で組織されている「PTA」を
「単位PTA」というが・・・「単P」などと、学校のPTAのことを言う人は通かも
その「単位PTA」の組織は、だいたい次のようである。
☆役員(執行部)・・・「会長」「副会長」「書記」「会計」など、組織の中心的な役割を担う人たちのこと。
☆委員・・・例えば、『成人委員会』・『広報委員会』・『安全委員会』など
各学校に設けられている「委員会」に入って、期間中、活動の中心を担ってくれる人たちのこと。
この「委員になる・ならない」について、毎年4月頃に親たちがざわつき、落ち着かなくなるのである。学級委員や学年委員など、いろいろな「委員」を作っている学校もあるが、学校の規模に応じて作らないと、大変なことになるのである。。。
「委員」になると、その中で「委員長(部長)」を決めることになる。
「委員長(部長)」になると、「役員」とともに「運営委員」「本部」などの所属となる。結果、「役員(執行部)」と同じ動きをすることになる・・・。
だから、この「委員長(部長)決め」は、「委員になる・ならない」よりも、
さらに、さ~らに険悪な雰囲気になる❓❕
そんな学校もあるとか無いとか・・・・・😱
「子ども一人につき1回」
という謎のフレーズを聞いたことがあると思う。。。
これは、
「子どもが在学中に『1回』」は、この「『委員』をやるべき」
ということなのである。
1回「委員」をやれば、以後の役員&委員は「免除」になる、とか「考慮」すべき、
などの内規があったりもする。
「免除」「考慮」なんて・・・・・、
何だか、「年金」や「試験」のようだなあ。。。。
ポイント制にして、「委員」を「考慮」されたり「免除」されたりする所もある。
PTAの活動に参加したら「1ポイント🎵」ゲット。
で、
ポイントが「●点」たまったら、
委員決めの際に「考慮」してもらえる、
という仕組みである。
なんだか・・・
「スーパーの来店ポイント」
のようで楽しそうである・・・?
・・・なのか?
だれが決めたのか?
このルール。
とてつもなく考えられている(練られている!)
とは思う。
でも、これは
「活動を平等に!」
と、強制しているが故のルール
であろう。
だから、この「強制」が、後の人々への「マイナスポイント」
となってしまった・・・
「PTA」あるある
PTAでの活動の際のあるある①
「部長やります」
「役員やってもいいですよ~」
と、まだ募る前から名乗り出てくれた人。
そのとき(初め)は「神様✨」「女神様✨」に見える😙
しかし、いざ、話が具体的に進んでいくと
「?なぜ、引き受けたの?」
と思われる出来事が多数出てくる。
たとえば、
◎連絡がとれない
◎PTAのことを何も知らない(知ろうという気もない)
◎都合のつく日が皆無
◎年度の途中で引っ越しをすることが決まっている
などなど・・・。
PTA総会で、承認される前なら、
「ちょっと考え直してみようか💦」
となるのだが、「承認後」だと・・・・・
困るね💧💧💧
PTA!当たっちゃった💦
「今年PTAになっちゃった💦」
とか
「PTAやりたくないから学級懇談会に出たくない😢」
などのセリフを聞いたことがないだろうか。
PTAとは
「役員」や「委員」になった人を指す言葉ではなく、
「入会した学校に通う親」全てを指すのだが、
正しく理解して、この言葉を使っている人は少ない、
と思う。
これは、
「入学すると関わらなければならないもの💦」
というPTAの誤ったイメージが強かったせいなのか。。。。
最近は、SNSなどでも話題になることが多いので、知られていることではあるが、
「PTAの入会は【任意】であり、強制ではない」。
だから、PTAに入会するかどうかの「意思確認」は必ずすべきなのだ。
「PTAになっちゃった」
という発言があった場合、
その学校の「加入についてのシステム」がうやむやになっているのでは?
と疑問を持った方がよいと思う。
PTAに関する問題の原点は、
きっと、そこにある👆
❓ 🐸 変える 返る 買える 帰る 替える 還る 飼える 🐸 ❓
「PTA」が重宝された時代は、
間違いなくあったのである。
そこには、
高度経済成長の日本の時代の在り方 と、
PTAの組織・運営の在り方 が、
ぴったりと合っていたことも忘れてはならない。
このような
「歴史ある組織」=PTA
であるからこそ、
代々引き継がれてきた「やり方」のようなものだけが
主導権を持って人々を押さえつけ、
これが
「やらなければならない」という強制力になっている。
これを続ける理由は、すべて
「こどものため」。
なんという「聞こえの良い言葉」。。。。
こう言われたら、抗おうという人も、二の足を踏んでしまうのである。。。。。
しかし
時代は変わり、
人々の価値観も変わり、
学校の在り方も変わり…
当然、PTAの在り方も変わらなければならなかったのである。
しかし、毎年、ほぼ入れ替わる「役員(執行部とも言われている)」や「委員」
が
「変えた方が良い」
と気づくのは、任期が半分過ぎたころ。それは、次期役員探しに躍起になっている頃であり、「あと少しで人気が終わる」と考えている頃だ。
次期役員候補に、
「自分は辞めるから、あなたが組織を変えてね」
なんて言える人は、さすがにいまい。
そうなると、
「自分が、少なくともあと1年、組織に残って変える」
という英断をしなければならなくなる😥
組織を変えるには、
「物理的にも精神的にも負担大」となることは想像に難くない(しかも、まだ「組織を変えるという発想が無い人」が、まだ多数派であった時ならなおさらだ💦)。
はたして
「あと少しで任期が終わる」と考えているどのくらいの人が、この役を買って出るのであろうか。
さらには、PTAに属せるのは、「その学校に子が通学している親(保護者)」であるので、「変えよう」と思っても、「卒業」のためできない場合もある。。。
🐸には、人力と尽力と、計画性と時間が必要なのである。
ことのはじまり
「PTAなんて、クソ面倒くさい❕😠」
という人にとっては、
「なぜ、PTAなんて、あるのだろう?」
と思ったことだってあるだろう。
PTAの沿革や歴史
については、ネットでも書籍でも知ることができるので、ここではそれは省略する
が、
おそらく~、ではあるが、
ことのはじまりは、
🎵 先生のサポートをしよう ❓
🎵 子どもを、より近くで見守りたい ❓
な~んてことではないだろうか。
PTAが盛んになったのは、おそらく第二次ベビーブームの頃からではないかと推測する。
1970年代といえば、日本が少し豊かになってきたころで、どこの家庭も、便利な家電が入ってきたころか。「専業主婦」が、その頃は多くいて、家事と子育てに熱心な母親も多く、「習い事を始める子ども」が増えつつあるころだ。
1980年代の初め、といえば、金八先生でもやっていたが、中学校が荒れていた頃か。「不良」なんていう言葉も出てきたりして。
1クラスの子どもの人数は45人程度。先生一人に対して、子どもが多すぎるのは言うまでもない。当時の先生は、今よりも「圧」をかけてくる先生が多くいたので、その「圧」で、子どもを制していたのかもしれない。そういえば、兄貴の友人も、先生に・・・
おっと、話がずれてきたので、戻そう💦
このような、教育に関心が高い親と子どもが多くいる学校という環境の中、親は少しでも子どもの成長に良いことはしたい!という意欲があり、そして、教師は、教師だけでは細かなことに手が回らない!という状況にあった場合。
行事の際にサポートするPTAの存在は、きっと
「渡りに船」
だったのだろう。
保護者が学校に入ることで、
「閉鎖的な学校」
というものを防ぐことができる!
と思ったのかもしれない。
「PTAなんて、なんであるの?」
その答えは、間違いなく
「PTAにはメリットがたくさんあったから」
なのである。
そう。
どこかの時点では。
なぜPTAが?
PTAの仕事
まず
✐学校の行事の運営のサポート
が思い浮かぶ。
例えば、
学芸会や運動会の受付
運動会の来賓のお茶出し
など。
他には
広報誌の制作
保護者対象の勉強会
学区の交差点などでの、登校時の見守り
などなど・・・
他にも細かな仕事がまだまだある。
「これって、親がやることなの?」
こういう意見が出るのもわかる。
では、
親がやらなければならないことなのか?
を考えるために、
親がやらなかったらどうなるのか?
と、考えてみた・・・
答えはたぶん
「親がやらなくても、大勢に影響なし」
なのだろう。。。
・・・残念ながら、そうなのだ。
そんな仕事を
「やらなければならない!」
と、いつからか、どこからか「思い込み」
それを「押しつけ」るという摩訶不思議が始まった
…のだと思う。
「そんな簡単なことじゃない!😠」
という意見もあるだろう。
しかし、そんな簡単なことなんだと自分は思う。
ただ、
「親がやらなくても 大勢に影響なし」
だとは思うが、
「やってくれるからとても助かっている」
というのが現状なのだと思う。
それがPTAの活動。
だから
「あたりまえ」
と思わずに、やり
「あたりまえ」
と思わずに、やってもらう。
これが大切なのだと思う。